大変、非常に、超。

形容詞や形容動詞(思いのまま書くので誤植だらけかも)というのは、結局比較するものであるとおもう。比較ということはつまり単体では判断しかねるというか。まあいつもどうり、結論から入ると、ナゼ私たちはすぐに、超いいとか、すごくかわいいとか、めちゃかっこいいという風に、修飾語句をつけてしまうのだろうか?そもそも、程度がはなはだしくないことを表すことのはずであるのに。取り合えず、なにかとつけてしまうのは、頭を使っていないのだろうか?
切りかえしにもなっていないが、答えはノーだ。それをつけることがもはや慣習となり当たり前となればそれは正しいとしかいえない。つまり絶対的に普通程度のものはもはやかわいいとかカッコいいとは呼ばれないのだ。大量生産、大量消費に正しく対応した言葉遣いだ。というよりは、世の中が高度に発達してきたので、どんなものでもきちんとしたデザインがされている(多分)。ユニクロがいい例である。プライドが少々許さないだけであり、全部ユニクロでもまったく問題はない。ただしそれは普通であり、かっこよくはないのかもしれない。
ん、まてよ(これがほんとのきりかえし)しかし、普通という言葉はじっさいには多用されない。すごくいいの次は、微妙、無しではない、であり次はダメダメ最悪だ。ということは意識の中では普通というのは存在しないのかも。普通というのは忌み嫌われているのだが、ぶっちゃけた話世界を回しているのは普通の人間であり、世の中に大勢いるのも普通のにんげんであり。普通というのは何処まで行っても付いてくるものだ。言葉の上でなくしたところで意味がない。言葉尻通り、ほとんどのものを、普通ありふれているというのも味気ないが