夜行バスの中で思い出した。

 夜行バスに乗って座席に座る。ギリギリまで作業に追われたせいでロクに準備できていなく、何もすることがなかった。最近すこしバタバタだったせいか、急に手持ち無沙汰になるととても困った。とはいえ目の前にパソコンがあればピコピコしていただろう。本が読める環境ならば、何も考えずに本を読んでいただろう。なぜゆっくり思い出に浸っていたのかというと、その日乗ったバスが結構事細かにうるさい感じだったからだ。それ、携帯は使うな、ゲームはするな、音楽は聴くな。挙句カーテンからちらりと外を垣間見ることまで禁止されてはどうしようもない。どうしようもないので目をつぶって見ると直ぐに眠気はやってきて3時間ほど眠ることができた。そこからはやけに目が覚めてしまいちょっと困ってしまった。
 そこで、久しぶりに昔のことをゆっくり思い出してみた。何から思い出してみればいいのか取っ掛かりとして歴代の担任の先生についてまず思い出してみることにした。小学一年生から順番に。自分の学校は小学校が1学年200人という割と今ではマンモス学校であるにも関わらず四クラス替えは二年に一度しかなかった。したがって先生は全部で三人のはずであり、簡単な作業だと思った。。でも一、二年を担当してくださった先生の名前がそのときは思い出せなかった。(今思い出した。T先生だ。)次に3、4年の先生(これはすぐに思い出せた)、5、6年の先生・・・。そうやって少しずつ担任の名前という手がかりで昔を思い出していくのは結構楽しかった。あの先生は面倒な人だったなぁ。とかそうそう、中学二年生の時には、一クラスの人数が多すぎるってことで、5クラスが6クラスになったのだ。ここで中学のころの記憶が少しよみがえった。廊下の一番端には準備室という名の先生の喫煙ルームがあった。今ではかなりの学校が完全禁煙なのでもうその習慣はないのかもしれない。ヘビースモーカーである、K先生(二年生後半の担任)はそこに入り浸っていた。よくI先生や、K先生もいて僕はその部屋に行くのが好きだった。休み時間にもかかわらず、先生はいろんな話をしてくれた。でもほとんど覚えてない。また少しずつ思い出していきたい。
 過去ってのは結構みたくないものという思いがある。誰しもそうかもしれない。自分の些細な失敗やひどく怒られた記憶は結構引きずりがちで、ちょっとしたことで思い出すことは大概そういったトラウマじみたものが多い。ただ思い出というのは自分がどうしたこうしたってことばっかりじゃないよなぁってすごく当たり前のことに気付いた。変な話中学校のころの自分の記憶はいいものをぱっと思い出すのは難しいけど、学年単位だといい思い出は多い気がする。全体的にそれなりに仲がよかった。卒業式最後先生に贈る言葉を体育館で行ったあと、中庭にせんせいたちを呼び出してどっきりで別の感謝の言葉を全員で言ったりした。(長ランにびっしり刺繍して先生ありがとうございましたって奴もいたなぁ)そういうのも大事な自分の記憶なのだ。
 そもそも学校生活とは良くも悪くも団体行動で残念ながら全員が主役になるようにはできていない。もちろん一人一人にスポットを当てていけば輝いている瞬間は誰にでもあるはずだ。でもみんなで何をした。そのとき誰かが面白いことをしていた。そのときその場に居た個とってのは結構重要な役割を果たしていたのかもしれない。誰も評価しないし、評価に値しないのかもしれない。けどまたそのときを思い出してクスリとしたり、ホロリとできたりすればそれは自分にとっての大事な思い出なのだ。