悲しいことがあったのかもしれない。

ずいぶんと時間がたった。そんな地点がいくつも生まれては死んでいった。そこには確かに自分の軌跡があったはずなのに。忘れてしまった自分の行動に固執しても、意味はない。忘れてしまったことは悲しいけど。目の前にあることと、自分の過去が、緩く解け合う。でも世の中は確かに存在する訳で、自分には些細な顛末が他の人にとってはすごく重要で自分ぐらいの人間にはとても償いきれなかったりする。(そもそも曖昧な自分にそんなことっと思われるのだよね)そうやって自分の中の今の価値がどんどん下がっていくことは案外気持ちのいいことでもある。とらわれずに生きていくことができるのだ。ただやっぱり、他人は違うわけだ。むしろ他人もそうかもしれないとしてもだ、自分と誰かの関係性は確実にここにあるのだ。存在が観測できるかどうかなんて関係ない。それは、ただ単純に漂って、ふわふわ浮いて、形を買えてくれはしない。
おかしな話。
私にはそうとしか考えられない。
自分の中に他人がいればそうでもないのかもね。