どうでもいい話。

どうでもいい話。
目に見えているのは実にそのもの自体をとらえることが難しいみたいな話が大好きだ。人間なんて、どっちでも転ぶような存在なら、どんな曲面から切り取ったとしてもその本質と言えるのかもしれない。が、実際見えているのは、自分の作り出したその人という人物像である以上、それは虚像と言える。(その虚像の本質ではあると言うこと)つまり、身も蓋もない話であるが、誰かへの感情は誰かへ正確につたわりっこないはずである。ただ、人間の感情とやらは先に述べたようにどっちにも転ぶので、実際の本質を突かれようが突かれまいが関係ないのである。後のお祭り騒ぎ。口からでた言葉はことだまであり、意志を伝える働き以上に、そのことだま自体がそのことに影響してしまう。物事を伝える時に伝えると言うことの純度を上げることは不可能である。それ以外の要素が付随して、伝わったと認識される。見えていると言うことは見えていることの怪しさと、見えていることの干渉で揺らぐから、とらえるとこが出来るがそれは難しい。